第11回
無用第十一
2018.12.18更新
日本人の精神世界に多大な影響を与えた東洋哲学の古典『老子』。万物の根源「道」を知れば「幸せ」が見えてくる。現代の感覚で読める超訳と、原文・読み下し文を対照させたオールインワン。
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無用第十一
11 無用には大きなはたらきがある
【現代語訳】
車輪は、三十本の輻(や)が中央の轂(こしき)に集まっている。その轂の中心には何もない穴があいていて、車軸を通すことができる。つまり、穴があいているから車輪がうまくはたらくことになるのだ。粘土をこねることで器はできる。その器の中は何もないところがあるから器としてのはたらきができるようになる。戸や窓をくりぬくことで家としてできあがる。家のなかに何もない空間があるからこそ、家としてのはたらきがある。
このように、何かがあることによって役に立つのは、何もないことがあるからこそ、そのはたらきができるのである。
【読み下し文】
三十(さんじゅう)の輻(ふく)(※)、一(ひと)つの轂(こく)(※)を共(とも)にす。其(そ)の無(む)に当(あ)たりて、車(くるま)の用(よう)有(あ)り。埴(しょく)を埏(う)ちて(※)以(もっ)て器(うつわ)を為(つく)る。其(そ)の無(む)に当(あ)たりて、器(うつわ)の用(よう)有(あ)り。戸牖(こゆう)を鑿(うが)ちて(※)以(もっ)て室(しつ)を為(つく)る。其(そ)の無(む)に当(あ)たって、室(しつ)の用(よう)有(あ)り。
故(ゆえ)に有(ゆう)の以(もっ)て利(り)を為(な)すは、無(む)の以(もっ)て用(よう)を為(な)せばなり(※)。
- (※)輻……車輪の外側と中心とをつなぐ棒(いわゆるスポーク)。古代中国では三十本とされていた。
- (※)轂……車輪の中心部分で、車軸を通すところ。
- (※)埴を埏ちて……「埴」は粘土のこと。「埏」はこねて固めること。
- (※)戸牖を鑿ちて……「戸牖」は部屋の戸と窓のこと。「鑿」は鑿(のみ)で穴を開けること。
- (※)無の以て用を為せばなり……荘子のいわゆる「無用の用」論と似ている。『荘子』の外物篇第七章参照。
【原文】
無用第十一
三十輻共一轂、當其無、有車之用。埏埴以爲器、當其無、有器之用。鑿戶牖以爲室、當其無、有室之用。
故有之以爲利、無之以爲用。
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